釧路地方裁判所 昭和62年(行ウ)4号 判決 1992年3月17日
北海道上川郡清水町字清水基線五四番地
原告
中原ふじ
北海道札幌市豊平区西岡二条九丁目一番二七号
原告
水上トミコ
北海道河西郡芽室町西四条三丁目一番地
原告
斉藤マサ子
北海道上川郡清水町字清水基線五四番地
原告
中原かよ
神奈川県川崎市多摩区登戸三〇九五
原告
中原良子
右五名訴訟代理人弁護士
佐藤哲之
同
内田信也
右佐藤哲之訴訟復代理人弁護士
今重一
北海道帯広市西五条南六丁目一番地
被告
帯広税務署長 鴨井継夫
右指定代理人
寳金敏明
同
大沼洋一
同
猪又間喜雄
同
寒川功一
同
伊藤正則
同
酒井順一
同
高橋徳友
同
溝田幸一
同
佐藤隆樹
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が昭和五九年九月二八日付けでした中原一正の昭和五六年分所得税の原告らに対する更正のうち分離長期譲渡所得金額二一三九万五一三三円、納付すべき税額四五一万九三〇〇円を超える部分及び過少申告加算賦課決定(ただし、いずれも異議決定により一部取り消された後のもの)を取り消す。
第二事案の概要
一 課税の経緯など(争いのない事実)
1 中原一正は、別紙物件目録記載の各土地(以下「本件土地」という。)を所有して農業を営んでいたものであるが、昭和五八年六月八日に死亡し、妻である原告中原ふじが二分の一、子であるその余の原告ら及び中原正治が各一〇分の一の割合をもって、相続により同人の権利義務を承継した。
2 一正の昭和五六年分にかかる所得税について、同人のした確定申告から、被告による更正(以下「本件更正」という。)及び過少申告加算税賦課決定(以下「本件決定」という。)を経て、審査裁決に至るまでの経緯は、別表一のとおりである。
しかるに原告らは、本件更正・決定(異議決定により取り消された後の部分)は、分離長期譲渡所得のうち二一三九万五一一三円を超える部分を超大に認定した違法があるとして、その取消しを求めている。
3 すなわち一正は、昭和五五年一二月一二日、ホクレン農業協同組合連合会(以下「ホクレン」という。)に対し、別紙物件目録一ないし三、五ないし一一記載の各土地(以下「本件農地」という。)を代金四四三三万円で、同目録四記載の土地(以下「本件宅地」という。)を代金一一〇〇万円で、本件土地上の立木、植木等を代金一九七万円で、それぞれ売り渡し(以下この売買を「本件売買」という。)、昭和五六年六月三〇日までに右代金を受領したが、一正は、本件農地の代金には、ホクレンの操業する清水製糖工場が排出する悪臭・廃液・汚水等に起因する土地汚染等に対する損害賠償金として少なくとも一八〇〇万円が含まれるとして、所得税法(昭和六三年法律第一〇九号による改正前のもの)九条一項二一号、同法施行令三〇条によりこれを非課税所得と解し、同額などを控除した三〇六万五〇五〇円を分離長期譲渡所得の収入金額として申告した。
4 これに対し被告は、本件農地の譲渡価額は四四三三万が正当であり、一正が損害賠償金として譲渡所得の収入金額から控除したうちの一八〇〇万円は、非課税所得には該当しないと判断してこれを収入金額に加算することとし、また、一正の譲渡収入金額三〇六四万五〇五〇円に対する必要経費として、被告が租税特別措置法三七条一項、同法施行令二五条四項に基づき計算した金額二九四万一七七二円から一正が計算した金額一九七万九一一七円を差し引いた九六万一八五五円を減算したうえで、一正の過少申告に正当な理由がないと認め、原告ら及び正治に対し、本件更正・決定をした。
二 争点
一正が本件売買に至るまでにホクレンの前記工場のもたらした悪臭・工場廃液・汚水によって損害を被っていたため、本件農地の売買代金の中に右損害に対するホクレンからの賠償金が含まれており、右部分については譲渡所得の計算にあたって非課税とされるべきものか否かが、本件の争点である。
第三争点に対する判断
一 証拠等によれば、以下の事実が認められる。
1 一正は大正一三年から本件土地に居住して酪農や農業を営んでいたが、昭和三七年一〇月にホクレンが国道を挟んだ西側隣接地に製糖工場を設置しその操業を始めるや、同工場がイオン交換樹脂再生のための硫酸・カセイソーダの廃液を素掘りの池に流し込んで地下に浸透させ、その他の廃液も未処理のまま排出するため、間もなく一正の住居のある工場東側の地域においては、湧水池に汚水が溢れ、あるいは地下水が汚染されて着色、臭気、味の異常などを呈して飲用することかできなくなり、農作物が減収となるなどの被害が発生した。また、工場内外に蓄積された大量の有機物が夏には腐敗、嫌気発酵して屎尿様の悪臭が発生し、常時吹く西風によってこれが工場東側の地域に流れていく状態が続き、害虫が大量に発生し、牛馬の飼育にも障害を来すことになった。そのため一正をはじめとする付近住民は、同工場に季節従業員として雇用される恩恵を受けていたものの、度々工場や清水町に抗議をするようになったが、保健所などの指導にもかかわらず、なかなか改善されるところとならなかった。わずかに、工場の従業員宿舎の井戸水が飲用に耐えなくなり、ホクレンが上水道を設置するについて、これが一正宅などに延長されたことがあった(甲一、甲二、甲三の一、二、甲四の一ないし五、甲六、乙七の一、乙一八、原告中原ふじ、証人野尻証人大西)。
2 昭和五四年になって、農業委員に就任していた野尻松平が、一正の右被害を知って助力することを申し出たことから、一正は同年八月、ホクレンに対して右被害に対し損害賠償を請求するとともに、本件農地を反当たり二〇万円、本件宅地を坪当たり二万五〇〇〇円で、それぞれ買い取るよう申し入れ、右売買代金と慰籍料、農地被害補償金として一億円を超える金員を支払うよう要求した。その後も一正は野尻を代理人としてホクレンと交渉を続けたが、ホクレンは責任のある態度を示さず、やがて一正が体調を崩すことがあつて交渉は中断した(甲六、乙九、証人野尻、証人大西)。
3 同年秋ころまでに、ホクレンは工場排水の処理施設を改善する工事をほぼ完成させ、工場排水の地下浸透を始めたが、汚水処理施設の汚泥や悪臭を発する汚泥様のものがあいかわらず工場敷地内に堆積しており、汚泥貯溜池が設置されず、悪臭発生源に対策がとられらなかったため、気温が上昇する季節につよい西風が吹くときには一正宅が悪臭におびやかされることは従前と変わりがなく、また、浸出水については依然回収が怠れていた(甲六、乙一一)。
4 昭和五五年五月二二日、一正や遠藤新一らの酪農家が工場からの悪臭、廃液、ヘドロ等で一八年間も悩まされているとの新聞報道がなされたため、保健所、十勝支庁及び清水町による工場への立入検査が行われ、警察も関心をよせるところとなった。ホクレンは当初「たれ流し」などはしていない、右報道の情報源を究明したい、との言動を示していたが、同月二八日、北海道知事から、水質汚濁防止法一三条一項の規定に基づく措置として、汚水などの処理の方法を改善するように命じられたため、これに応じる態度を示した(甲六、乙七之一、乙九、乙一四、証人安済、証人大西)。
5 同年七月一日、野尻はホクレンに対して三五七八万八〇〇〇円及び問題解決の日から五年間月々二三万円の賠償金を支払うよう文書で要求し、再び一正とホクレンとの接触がはじまった。ホクレンでは損害賠償に応じるか一正土地を買い取るかを協議したが、汚染が蓄積された土壌の復元が困難であることを認識し、同年八月四日に清水町及び農業協同組合の職員を交えて再開された野尻との交渉の場において、公害補償金名目の支出は避けたいとして、一正から本件土地を買い取ることで紛争を解決する提案を行った。(甲七の二、甲九、乙七の一、証人野尻、証人安済、証人大西)。
6 これに対し営農に望みのなくなった一正は、本件土地の売渡しに応ずることを決め、野尻を通じて、同年九月一一日にホクレンに対し、売買代金は反当たり一五〇万円とし、あわせて代替地の提供を受けることを要望した。ホクレンは代金については当初は反当たり五〇万円を主張していたが、同日反当たり一〇〇万円を提示し、なお代替地の譲渡についてはこれを拒否することを伝えた(甲七の3、甲八、証人野尻、証人安済、証人大西)。
7 同年一〇月一七日、野尻はホクレンとの交渉において、右売買代金を反当たり一四〇万円とするように申し入れ、「公害補償費的な支出は種々差し障りがあるので土地代に一切を含めたものである」「土地で一切を解決しあとに尾をひかないようにしたい」と発言した。そこでホクレンは決裁権限のある本店の幹部の了解を得たうえ、同月二三日、農業協同組合長及び清水町長らと相談したうえ、右提案を受けいれることを決め、即日野尻にその旨を伝えた(甲七の三、四、甲九、証人野尻、証人安済、証人大西)。
8 しかるに一正は、野尻から売買代金に対する税金をホクレンが負担するかのような発言を聞いたため、右代金額は「税引き後の手取り額」であると誤解した。そのため、同月二九日に行われた野尻とホクレンとの交渉では、課税額を軽減する方法について協議がもたれ、野尻は損害賠償の要素のある金額については特別に「税の恩典」があると理解していることを述べたが、参列していた清水町及び農業協同組合の職員は容易に税の軽減は受けられないとの見解を示して、野尻に対して正規に税金を支払うことで一正を説得するように要請した(乙一五、証人野尻、証人安済)。
9 さらに同年一一月一二日、再び野尻とホクレンとの間でこの問題が話し合われ、帯広税務署と相談した清水町の職員から、「公害補償」については農業所得に対するものを除いて非課税となることが指摘されたものの、結局、ホクレンが損害賠償の支払に応じない以上は、移転補償費などを多くして「手取り額」を増やすしかないという意見が町及び農業協同組合から示された。野尻においては右意見は理解したものの、なお税務署に対し説明を加えれば損害賠償として税の軽減が図られるところがあるものと考え、前記代金額で本件土地をホクレンに売却することを決めた(乙一六、証人野尻、証人安済)。
10 同月二一日、ホクレンから野尻に対し、「協定書(案)」と題する書面が示された。これには、公害に対する賠償の名目では金銭を支出しないというホクレンの意向が貫かれて、「昭和五五年七月一日付工場廃液による土地汚染に関する損害賠償並びに補償についての申出の趣旨目的請求を破棄し」という文言が記入され、さらに反当たり一四〇万円に本件土地の地積を乗じて得られた六四一〇万円の売買代金のうち、本件代金を四四三二万円(反当たり一〇〇万円)、本件宅地の代金を一一〇〇万円(坪当たり二万五〇〇〇円)、移転費用六八〇万円、立ち木、植木等に対する費用を一九七万円とするという内訳が明記された。これは本件土地の名目上の代金をそれぞれ時価相当額に抑え、これを超える金額については移転補償などの名目を付することにより、ホクレンにおいては一正に支払う金員の中には公害に対する賠償金の要素が含まれていないことを看取しうるようにするとともに、一正においては譲渡所得に対する税の軽減を図ろうとしたものであり、野尻も右協定書に対して異議をとなえることなく、これに署名捺印した。そして同年一二月一二日、一正とホクレンとの間で右協定書と同じ内容の本件売買に係る契約書が作成された(乙五、乙六、証人野尻、証人安済、弁論の全趣旨)。
11 ところで本件土地は、ホクレンの前記工場から長年にわたり排出された廃液により荒廃しており、ホクレンが取得した後も、「試験畑」として利用されているものの一部が未利用のまま放置されているのであり、近いうちに農用以外の目的に利用する計画もなく、これらをホクレンがあえて取得する必要性がなかつたことは明らかである。しかしながら本件土地は清水町の市街地の外縁部に当たり国道にも接する位置にあって、農用地区域からも外れているのであり、土壌汚染がなければ宅地に適した環境にある。そして近隣又は類似の取引事例(一正と同じ公害の被害者である遠藤及び及川がそれぞれホクレンに土地を売却した例を除く)に時点・場所修正を加えた試算単価は反当たり九〇万円から一〇〇万円程度であるというのであり、一正が専業農家ではないことからその収益性も考えると、ホクレンは本件農地の価額として妥当と考えた反当たり一〇〇万円の単価はあながち不相当とはいえない。なお移転補償などの名目で支払われた八七七万円は一正の資産の移動からみて著しく過大な金額である(甲五の一ないし八、乙七之一、乙一〇、乙一二、乙一七の一、二、乙一九の一ないし三、乙二〇ないし二三、原告中原ふじ、証人安済、証人大西)。
二 以上の事実によれば、一正は長年にわたってホクレンの工場からの廃液、悪臭等により、多大の損害を被ってきたものであり、本件土地を売却するにあたり、右損害賠償請求権を放棄して時価相当額を取得するだけで満足する理由は見当たらない。しかしながら、一正においても長期にわたる継続的な損害については、ついにその内容(土地価額の低下及び農業収益の減少、精神的苦痛)や金額を確定させるところとならず、そのうえ波及効果をおそれるホクレンからは損害賠償の名目の支出を一切拒否されたことから、営農を断念した同人は課税を覚悟したうえで、時価を上回る代金額によりホクレンに本件土地を買い取らせ、右損害賠償請求権を放棄するに至ったが、本件農地の売買代金は相当額の四四三三万円と定め、他に移転補償などの名目による支払を設定して課税額の軽減を図つたことが認められるのである。
したがって本件農地の売買代金(対価)はあくまで右合意に基づく四四三三万円を下回ることはないというべきであり、これがすべて長期譲渡所得であるとした被告の本件更正・決定には違法な点はない。
(裁判長裁判官 菊地徹 裁判官 斎藤大巳 裁判官高山光明は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 菊地徹)
物件目録
一 所在 上川郡清水町字清水基線
地番 七一番一
地目 畑
地積 三三五五平方メートル
二 所在 上川郡清水町字清水基線
地番 七一番二
地目 畑
地積 二八七平方メートル
三 所在 上川郡清水町字清水基線
地番 七一番三
地目 畑
地積 三七六八平方メートル
四 所在 上川郡清水町字清水基線
地番 七一番四
地目 宅地
地積 一四四二・七一平方メートル
五 所在 上川郡清水町字清水基線
地番 七一番五
地目 原野
地積 六六三一平方メートル
六 所在 上川郡清水町字清水基線
地番 七一番六
地目 原野
地積 二六七平方メートル
七 所在 上川郡清水町字清水基線
地番 七一番七
地目 原野
地積 五五一四平方メートル
八 所在 上川郡清水町字清水基線
地番 七一番八
地目 田
地積 一万三六三九平方メートル
九 所在 上川郡清水町字清水基線
地番 七一番九
地目 畑
地積 三〇三四平方メートル
一〇 所在 上川郡清水町字清水基線
地番 七一番一〇号
地目 原野
地積 六一四二平方メートル
一一 所在 上川郡清水町字清水基線
地番 七一番一一号
地目 原野
地積 一三二二平方メートル
別表一
昭和56年分
<省略>
別表一の付表
<省略>